地方創生は知の遊び空間をつくるところから始めましょう
「地方創生」が声高に叫ばれていますが、「知財の扉」は「地方創生」に期待しています。是非に成功して欲しいなぁ~と思っています。
現在、政治・経済・文化と人口が東京(首都圏)に一極集中しています。ヒト、モノ、カネ、情報を媒介とする活動の殆どは、一極集中していた方が有利であり、現在の東京の繁栄は地方の少ない富(ヒト、モノ、カネ、情報)が東京に吸い上げられた結果としての繁栄です。
古今東西を問わず、首都とは本来そういうものですが、東京一極集中は江戸時代(1603年~)から徐々に進行しています。
そして情報通信輸送手段が発達した今日においては、一極集中を抑制ないし制限する力が殆ど存在しないので、加速度的に東京一極集中が進んでいます。
しかし東京一極集中による繁栄は、「日本列島食いつぶし」の部分最適的な繁栄であり、このような繁栄は、日本列島の多様性を失わせ、次第に日本国の復元力・創造力・文化力・生産力を劣化させます。
このままでよいのでしょうか。
首都圏在住の優秀な方々、例えば霞が関の官僚の方々、学者、ジャーナリスト、政治家、首都圏の知事などは、このようなことが判っていても、自分がいる首都圏(生活圏)をもっともっと発展させようと働いているので、多大なリスクを抱え、かつ自分や自分達の生活圏に何らの直接的利益をもたらさない東京一極集中の是正を真剣に考えることはないでしょう。
言い換えると、「地方創生」は東京の力を弱める東京にとってのアンチテーゼです。
それゆえ「東京」で真に実効性のある地方創生スキームが考え出されることはないでしょう。
東京一極集中化システムは数百年かけて作られたシステムです。
したがって、真の「地方創生」は数百年かけて作られ、機能している流れを変えるものでなければならないはずです。
そうであるとすると、真の「地方創生」には、過去を超越する知恵と、革命または革命に匹敵するほどの破壊と創造のエネルギーを必要とするでしょう。
そんな大変な「地方創生」を実現するにはどうすればよいのでしょうか。
「知財の扉」は考えました。地方創生には革命的パワーを備えた変革者(「地方創生志士」)の存在が不可欠であると。
紙面の都合上、論理をワープさせます。古今東西の変革者は、“中央から離れたところ”で、かつ、“外に開いた窓”と“知と遊びとが交わる空間”が備わった場所で誕生しています。
このことから、地方に先ずこのようなる変革の志士を生み出す空間を用意し、変革の志士が育つのを待つ必要があると考えます。お茶を濁すのではない、本当の地方創生を成し遂げるためにです。
地方においてこのような場所を提供できるのは、その地方に存在する大学です。
大学は全国津々浦々にあり、その地域の大学にはその地域の若者が集っており、「遊び空間」、「若者エネルギー」、「情報発信力」、「知」が備わっています。これを地方創生に活かすのです。
より具体的には、地方自治体にではなく、「志士」を育む意思・意欲を持った大学に「カネ」と「ヒト」と「情報」を提供するのことです。
この考えは、大学に地方創生の知恵をだしてもらおう、直接志士を育ててもらおうという考えではありません。
そのようなことはどだい無理な話です。今までできていなかったのですから。
そうではなく、その地方にある大学に、“知の遊び空間”、“知的エネルギーを付加できる空間”、“外に開かれた知の交流の場”を提供してもらおうという考えです。
大学にとってはこのような場の提供は地元に貢献するという名誉ある使命を全うできる他、「カネ」と「ヒト」と「情報」が得られるというメリットがあり、このメリットは地方の大学の生き残り戦略として有効に機能します。
よってこのメリットはこのような場の提供を促す強力なインセンティーブになります。
“若者力、知的エネルギー力を付加できる場”、“知の遊びの場”、“外に開かれた知の交流の場”は、一般人、企業人、大学人、学生などに開放します。
そして“知と遊びが交わる外に開放されたエネルギー空間”として機能させ、そこに参加している人々の「知力」と「行動力」を刺激します。これにより「志士」をインキュベートします。
またこの空間は、“地方原産の産物”や“地方に根ざした知恵”にエネルギーを付加してこれを知的財産またはインテリジェンスにまで育て上げる場とします。
この空間での「遊び」を地方創生に寄与し得るものにまで深化させるためです。
このためには知的財産またはインテリジェンスにまで育て上げる仕組みが必要となりますが、この仕組み作りに「知財ソリューション経営」の考え方を取り入れてもらうとうまくいくと思います。
知財ソリューションとは、知財の眼で解決の糸口を探す手法です。